私の想い

こんにちは。 

 

もう流されない!心を決めるバイタルダンスむつみクラスファシリテーターの小山睦美です。 

 

私の本業は会社員。証券投資顧問業の外資系金融会社に勤め、人事・総務・経理を統括する業務管理マネージャーを務めています。比較・競争・マネー至上主義の最前線に身を置き、会社そして個々人がいかに優位でいるかを常に追い求める日常を送っています。 

その一方で、本当の自分を愛し、「愛」を基準に心を決めるバイタルダンスむつみクラスを主宰しています。 

 

【若かりし頃】 

私は、高校時代の聖子ちゃんカットに始まり、短大時代ではロングのサーファーカットにハマトラファッション、雑誌JJは必読書で、化粧品からバック、靴に至るまで、雑誌の中のそのまんまを身に纏っていました。 

 

短大を卒業して損害保険会社へ入社したころは、毎朝時間通りに会社に行き、当番制のお茶出しをこなし、与えられた業務を日々繰り返し、残業をすることもなく終業のチャイムとともに席を立つ、どこにでもいるごくごくフツーのOLでした。 

 

そんな私は趣味のスキューバダイビングを通して夫となる男性に出逢います。 

 

私たちは結婚後、ダイビングショップをオープンさせます。そしてオープンしてまもなく、私は男の子を身籠り出産。 

ところが、です。 

 

その年の8月、その日もいつもどおり彼はお客さまと一緒にフィリピンのダイビングツアーに出かけました。予定では4、5泊で帰ってくるはずの彼が、1週間を過ぎても一向に帰ってきません。 

 

「まさか・・・? 彼に何かあったの?!」 

 

行方不明になった彼を生後4か月の息子と一緒に私は待ちました。 

 

そして数週間後、彼の実家に1通の手紙が届いたのです。 

 

そこには、右翼の会長に多額の借金をしたこと、さらにダイビングショップで使用していた小切手を「白紙のまま」渡したことが綴られていました。 

 

「私のせいじゃない・・・、彼がこうなったのは私のせいじゃない! 悪いのはすべて彼でしょ!!」 

 

彼の実家には、荒々しい借金の取り立て屋が来るようになりました。 

 

産後自分の実家にいた私は、戻ることのできない新居のマンションから、とりあえず荷物を運び出しました。 

 

息子をリビングのソファに寝かせ、持ち出せる最低限の物を選び、段ボールに詰め込みました。彼の荷物は置き去りにしたまま・・・ 

 

これから必要なものと、二度と必要になることのない「過去のもの」を、私はたった一人で一夜で選り分けました。 

 

自分ではもうどうすることもできなくなった現実を受け、私は否応なくシングルマザーとして生きざるを得なくなったのです。 

 

一度だけ、親しい友人の前で私は泣きました。 

でも泣いても何も変わらない、一歩も前に進まない、残ったのは惨めさだけでした。 

 

そんな自分に気づいたとき、私はものすごい虚しさと無力感に襲われ、そしてその日から人前で泣くことをしなくなりました。 

 

【自立までの道のり】 

私には収入が必要でした。そのため、何とか資格を手に入れようと、簿記2級の通信教育を申し込みました。姉の家に居候していた私は、昼間は姉たちの家族と我が子のための時間を過ごし、夜家人が寝静まってから、簿記のテキストを開き勉強しました。お腹が空いて息子が泣くと、急いでミルクを作り、抱き上げて哺乳瓶をくわえさせ、飲み終えて寝息を立て始めるのを待って、再び机に向かいました。 

 

約4か月の勉強ののち試験に合格。息子が1才を迎える前に経理業務の正社員として仕事に就くことができました。 

 

就職とともに息子は保育園に入園。心細く不安な母親の心を映し出すかのように、息子は毎朝保育園に着くと泣きました。母の身体に両手両足を絡ませてしがみつく息子を、腕をほどき、足をほどき、先生の両腕に預け、そして私は「じゃあね、行ってきます」と必死で笑顔を作り、別れました。 

 

息子の泣き声が私を追いかけます。でも振り返ってしまうと私の心は挫けそう。私は真っすぐに園庭を通り抜け、重たい門扉をぴしゃりと閉め、仕事に向かいま

した。 

 

私は仕事に穴をあけることはしませんでした。 

 

融通の利かない几帳面さを強みとし、きっちりと仕事をすることでキャリアを積み、息子が5才になるころにアパートを借りて二人暮らしを始めました。 

 

迷っては生きていけません。男性優位の色濃い社会でシングルマザーとして負けないこと、泣かないことを心に強く抱きながら、与えられた仕事にしがみついて働くことで、次第に決断力が身についていきました。 

 

【自分の選択に自信を失ったとき】 

息子が18歳のときでした。高校3年生の春、思春期の傷つきやすい息子は先生との関係がこじれて不登校になりました。大人へと成長する息子を気遣いながら、女親としての力に限界を感じていた頃でした。 

 

ある日息子の部屋の掃除をしていると、一枚の白い小さなメモが落ちていました。メモには携帯番号とそしてその裏に、丁寧にシャーペンで書かれた息子の筆跡。その文章を読んだ私は目の前が真っ白になりました。 

 

『もしもし○○□□さんですか?』・・・そこには別れた夫の名前が書かれていました。 

 

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もしもし○○□□さんですか? 

 

小山雄樹です。小山睦美の息子です。 

 

わかりますか? 

 

おれ、学校辞めちゃってさ。 

 

今度遊びに行ってもいいですか? 

 

また連絡するね。 

 

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父親へ電話をするための、自分の言葉を書き留めたメモでした。 

 

母親思いだった息子は、一度も「父親に会いたい」と言ったことはありませんで

した。でもどれほどの寂しさを抱えていたことでしょう・・・ 

 

私は、ひたすら息子のため、生活のために突っ走ってきました。でもそのとき私は、自分が決めてきた人生に何か大きな過ちがあったのではないか?と、ふと立ち止まったのでした。 

 

息子の心に寄り添うこと、息子の寂しさに気づくこと、そのためにやるべきことがあったのではないか? 会社で自分の能力を認めてもらう前に、強気で仕事をこなすことに必死になる前に・・・。 

 

私はそれまで築いてきた自信を失いました。 

 

【バイタルダンスとの出会い】 

2010年5月、バイタルダンスの日本初のワークショップが開催されました。 

その半年前、最初のスタッフミーティングに私は会計担当として参加します。 

 

「バイタルダンスって何?」 

 

「音楽を聴きながら、自由に踊るんだよ♪」 

「決められたステップがあるわけではないんだ。だから誰でも大丈夫!」 

 

そんな説明を聞いた私は、 

「いやいや、決められたステップもないのに、人前で自由に踊るって何っ???」 

「この私が音楽を聴いただけで踊るわけ???」 

「絶対無理!絶対踊らないから!!」 

 

笑顔で話を聞いてはいたものの、心の中では「私は絶対に踊らない!」と固く、固く心に決め、任せられた会計の仕事だけをしっかりやるつもりでした。 

 

初日私は受付に座ります。続々と集まる参加者。受け取った参加費をしっかりと胸に抱いて、ワークショップが終わるまで待つはずでした。 

 

ところが、 

 

「さぁ、始まるよ~!スタッフはみんな入って、入って!!」 

 

私は背中を押されて、思わず会場の中に入ってしまいました。 

バタン!!私の後ろでドアが閉まりました。 

 

そしてスタッフ紹介が終わるや否や、 

「隣の人と手を繋いで一つの円になりましょう~。そして音楽が流れたら右に回ります~♪」 

 

逃げ場を失った私は仕方なく隣の人と手を繋ぎました。 

音楽が聞こえてくると、その輪が動き始めました。 

すでに諦めきった私も、その動きの中に入っていきました。 

そして次の瞬間。私の目から涙が溢れ出しました。 

 

「人前では泣かないって決めてきたでしょ! な、な、何が起きたの?!!!」 

 

会計を任されていた私は、スタッフとしてのお役目を果たすために毎回ワークショップに行かざるを得ませんでした。 

 

でも毎回毎回、輪になって泣いて、歩いて泣いて、誰かと手を繋いで泣いて、踊って泣いて、呼吸して泣いて、あらゆるエクササイズで泣いて、誰よりもたくさんの涙を流しました。そして毎回毎回踊り終えたあとには、お風呂上がりのようにさっぱりとした笑顔で集合写真に写っている私がいたのです。 

 

【別れた夫との再会】 

息子が取り持ってくれたおかげで、私は19年ぶりに別れた夫と再会しました。 

 

お互い最初に口を突いて出た言葉は、「ぜんぜん変わってないね」。二人同時に同じ言葉を言い合い、笑顔がこぼれました。 

 

そして、親子3人で食事をしました。3人が揃って食事をするのは初めてです。 

六本木のカフェ「アマンド」で待ち合わせました。私の携帯に父親から電話が入り、「六本木に着いたって」という言葉を聞くや否や、息子は「迎えに行くから!」とすぐさま席を立ち、お店を出ていきました。慌てて私もお店を出ると、思わず「あっ・・・」と声を出して立ち止まりました。 

私の目に飛び込んできたのは、よく似た歩き方をした笑顔が2つ。 

 

「父子だ・・・」 

 

生まれてこの方一緒に暮らした時間は1週間もなかったはずなのに、180㎝を超える長身の二人は、少し肩をゆすって同じ歩調でこちらに向かってきました。 

優しい笑みをたたえたその二つの顔はそっくりでした。 

 

私は言いようのない安堵感にすっぽり包まれて、二人に近づいていきました。 

 

【人生の選択について】 

20代半ばで結婚し、そして夫が失踪したのち借金が判明したことで、私はシングルマザーとなることを選ばざるを得ませんでした。 

 

慰謝料も養育費も一切ありませんでした。私は子どもを育てながら生活してい

くために、働くことが最優先でした。だから最低限の母としての愛情しかかけてあげられませんでした。 

 

しかし、バイタルダンスは教えてくれました。 

愛とは、豊かさとは、自分らしさとは何かということを。 

内側から沸き上がる感情をありのままに表現することで、私の中に自然と変容が起きてきました。 

 

今までの私の決断は、すべて「そうせざるを得なかったから」「仕方なく」していたことに気づきました。 

 

でも、今は違います。 

今は、「愛を基準に」決断します。 

 

私は、別れた夫に対し、すべてを許しています。そして彼の子どもを産んで良かったと心から思います。彼を選んだこと、結婚したこと、そして離婚したこと、そのすべてを受け入れ、私の人生に何一つ悔いはないと思っています。 

 

それはバイタルダンスで、本当の愛、本当の豊かさ、本当の自分に出逢えたからこそだと確信しています。 

 

バイタルダンスを踊り続けていけば、誰かの価値観で生きることをやめ、本当の自分を愛し、「愛」を基準に心を決めて自分自身を生きることができるのです。